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zoom RSS ゴーゴリ「外套」

<<   作成日時 : 2008/01/10 21:48   >>

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 ゴーゴリの「外套」は誰が読んでも、おもしろい小説だと思うが、どうにも解せないところがある。

 真っ向からロシア文学を論じるのも垢抜けないので、脇から脇から綴っていく。

 まず今日の画像は、ゴーゴリとは関係ない。初詣した大国魂神社(府中市)の縁日のお兄ちゃん。

 今シーズンもコート(外套)を新調した。ぱっと見の衝動買い。9月に秋冬のスーツやジャケットを買ったときに、ついでに気分で選んだ。
 ここ数年の紳士服の流行であるクラシコ・イタリアもちょっと飽きてきたかな。軽やかなイタリアものより重厚な英国の伝統的な服「重くて丈夫」が新鮮に思えて、カントリー・ジャケットと一緒に英国製のツイードの重いコートを選んだ。

 外套と言えば、悩んだものがある。

 奮発して作った上物の紬の着物があるのだが共地の羽織を着てもこの時期は寒い。和服用の外套、いわゆるトンビが前から欲しいと思っていた。
 寸のぴったりあったものを昨年の暮れに浅草の古着屋で見つけたのだが、迷った末に見送った。案の定、この季節になってその着物の袖を通せないでいる。

 というわけで、ゴーゴリの「外套」。


 下の下のこわっぱ役人である九等官アカーキー・アカーキエヴィッチは、自由になる金もなく自然と倹約して生きる、楽しみもなにもない独身中年。
 ところが、ずっと着続けてきた外套がついに駄目になってしまう。繕い屋に持っていくが、生地が薄くなってしまっているので直しなどできない、新調するしかないと言われる。

 泣く泣く、きりつめた生活をさらに節約し、やっとの思いで外套を作る。

 ところが、この外套を注文することができる段になって、アカーキーは遂に人生の喜びを知る。新しい外套を作ることができるとはなんと素敵なんだろうと。
 その思いは外套ができあがるとさらに、いや増す。一枚の外套を得たことでアカーキーの人生は輝きを帯びる。

 だが、好事魔多し。
 アカーキーはその外套を追いはぎ強盗に奪われてしまう。


 ここから先はネタバレなので、しばし置く。たいへんおもしろい小説だし、なにより短編なのですぐに読み終えることができる。

 それに、あのドストエフスキーが「我々はみなゴーゴリの外套から出た」と言ったというくらい、近代のロシア文学(=近代の日本文学ということでもある)に強い影響を与えた小説だから、ぜひお読みになるといい。

 しかし、この小説の最後の最後が僕にはまったくわからない。いったんオチた筈の話に、さらにオチらしきものが数行つけ加わっている。

 一体にゴーゴリというのは、近頃のホラーだとかファンタジー小説を読み慣れた我々からは隔絶した、トンデモな作家なので、こういうハズしは多い。ほかの作品でも、なんだか妙な奇妙キテレツな異空間に放り出されることがよくある。


 また話を変える。
 今、僕の叔父が死にかかっている。
 倒れたのは一昨年で、もう一年以上、植物人間状態。

 大変な読書好きで、家が傾くほど本を持っていた。それを整理できるのは親類では僕しかいないので、何日かかけて整理をしてきた。読書好きと言っても通俗書や雑誌ばかりで、めぼしい本は少なく、残すものは実は僅かしかなかった。

 宮本輝が好きだったようで、文庫本ばかりだが何十冊も並んでいた。すべて古書店に引き取りに来てもらうほうに分別したが、一冊だけ頂戴してきた。

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 「本をつんだ小舟」という題名で、宮本輝が愛読した32冊の本をとりあげたエッセイ。

 実は今回のトピックは、この本を今日読んだことからはじまる。宮本輝がゴーゴリの「外套」について書いていたのだ。

 正直なところ、ほかの本の紹介では非常に感じるものもあった。特に寺山修司の短歌について書いたものには唸った。僕も、寺山の歌に痺れた中学生の頃があったが、まさに感じるところは同じで、それを絶妙な文章で書いている。それに比べると、「外套」の取り上げ方は普通すぎる。

 そして、最後のオチの不思議については触れられてもいない。

 こうなると不安になってくる。もしかしてみんな、あの結末の意味が当たり前のようにわかるのだろうか。

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