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zoom RSS 教養と雑学

<<   作成日時 : 2008/01/20 10:54   >>

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 ネット上のとあるところで「教養と雑学はどう違うか」という話がふられていた。

 これについての僕の考えはこうだ。

正統な文化についての知識が教養であり、非文化(サブカルチャーを含む)についての知識が雑学。

 ここしばらく雑学という言葉が流行っていて、「あの人は雑学に詳しい」なんて言っているが、それはその人を褒めたことにはならない。

 落語の登場人物で言えば、熊や八に祝いの口上やしきたりを教えるご隠居さんは教養人であり、遊女、千早の本名が「とは」だということを知っているご隠居さんは雑学人ということになる。

 ところがここで問題に突き当たる。文化とエセ文化(サブカルチャー)を分かつものは何なのか、ということだ。

 短歌、俳諧を文化とすれば狂歌、川柳の類はサブカルチャー。だから国語の教科書にはそういうものは載っていない(筈)。ところがご承知のように、日本史の教科書では江戸から幕末期の狂歌がいくつも出てくる。それを知っているのは教養だと強弁することもできる。

 つまり雑学を仕入れているうちに、おおもとが出世して文化の末席にもぐりこめば、自分が教養人になることも夢じゃないわけだ。


 若い頃は映画を必死で観た。当節ではわからないだろうが、僕が学生の頃はDVDはおろかビデオなんてなかったから、名画座で同じ作品を朝から晩まで何回も観た。このチャンスを逃したらその映画は一生観ることができないかもしれないからだ。

 ただおもしろいから観ていただけなのだが、昨今では名画とされる往時の映画を観ていることが教養になりかねない。
 あまりに現代のハリウッド映画が、支離滅裂な脚本をだらだらと長く見せるだけなので、昔のまともな映画がありがたく思えるのだろう。

 しかしやはり僕にとっては映画をたくさん観ているというのは淫行に属する。エセ文化に溺れているだけだ。


 最近たて続けにシェークスピアを新訳で読み直した。

・新訳ハムレット 河合祥一郎訳 (角川文庫)476円
・リア王 安西徹雄訳 (光文社古典新訳文庫)533円

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 新しい訳はさすがにすらすらと読める。神主のあげる祝詞(のりと)が口語になったようで、ありがたく感じられないのも確かだが。

 改めて思うのは大衆劇であるシェークスピアの猥雑さ=言い換えれば「エッチさ、破廉恥さ」。
 現代の教養人の感覚では、とても子供に見せられる劇じゃあない。

 当然のように、シェークスピア戯曲は長い間文化とは正反対のものだった。通俗低俗であると正しく位置づけられていたのだ。
 特に英国人がカチカチのコチコチになったヴィクトリア朝時代には、結末が非道徳だと改作されて演じられていたこともあった。

 それが段々と出世してきた。当初は一部の評論家が認めた程度だったのが、今では人類の文化を双六とすれば「あがり」の位置にいる。

 こういう段取りになってくると、「團十郎や海老蔵の屋号は成田屋だ」なんて知っていることが教養となりかねない。そんなのは間違いなく淫行だと思うんだけれどなぁ。


 ところでハムレットの名台詞「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」の原典は"To be, or not to be"だが、実はこれまでの多数の邦訳では、一度も「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」と訳されたことはなかったのだそうだ。

 「ながらふべきか但し又、ながらふべきに非るか」 (矢田部良吉訳 1882)
 「生か死か----それが問題だ」 (久米正雄訳 1915)

 訳のポイントは「Beか非Beか」を「生か死か」と訳すかどうか、さらにそこに未来形義務の「べき」というニュアンスを加えるかどうか。

 今回の訳者、河合祥一郎はあとがきで当初は「忍びて存るか、たちて果てるか」を考えていたが、熟考の末、人口に膾炙しながら一度も訳書には登場していない「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」としたと書いている。

 映画「カサブランカ」のなかで、イングリッド・バーグマンは一度も"Play it again,Sam"と言っていないのに、誰もがそんな台詞が存在していると思っているのに似ている。
 ちなみにこの台詞を使ったオマージュとしての映画にウディ・アレンの「ボギー、俺も男だ」がある------雑学に淫している、桑原桑原。

 安西徹雄訳の「リア王」も、あとがきがおもしろくシェークスピアについての雑学がきっちりとつまっているから雑に飢えている方にはお奨めできる。


 最後に。
 昨日、今日と画像はホルガ(Holga)で撮影したもの。
 ホルガはひどく粗悪なカメラ/レンズで、誰が撮ってもこういう写真になると言うか、こういう写真しか撮れない。カメラ淫語で「周辺光量が落ちる」と言う。
 気の迷いで買ったが(5000円ほど、実際の価値は1000円くらいだと思う)、そのまま撮影するとボディの整合がおかしくて光線漏れを起こす。内部に厚紙を貼ったりして工作したのがおもしろかっただけで、写真はちっともおもしろくないから放りっぱなし。

 ところが最近、こういう駄カメラ(駄レンズ)で撮った写真に人気がある。

 その構造は映画が教養になりかけているのと同じだなと思う。

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コメント(2件)

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『新訳ハムレット』の表紙画は金子國義さんによるものですよね?画伯とは今年の正月に行きつけのバーで偶然隣に座り、色々とお話しをさせて頂きました。まあ、教養でも雑学でもない駄話オンリーでしたが(笑)。
近バ
2008/01/21 13:26
金子國義さんともお知り合いとは、近バちゃんの顔の広さはすごいねぇ。
渋澤龍彦から加藤和彦のLPジャケまで金子さんの絵にはいつも肝を抜かれてきました。
Sugar
2008/01/22 00:45

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